危ないな、城山

先日の雨により松山城の建つ「勝山」の一部が崩壊して土砂崩れを起こし、麓の緑町に住んでいた家族の方々が亡くなった。実は私も約50年前、当時の「杉谷町(今の緑町1丁目)」に住んでいた。官舎だったがいつも父は陽当たりが少ないことと山崩れを心配していた。

ただ当時の山沿いは愛媛自動車学校とか大きな邸宅がありマンションなどは全くなかった。

ある書籍によれば、この勝山は二つの小高い丘を土で間を埋めて作ったある意味で人工の山だ。だから山の上に通常は見られない珍しい「井戸」があり、これは下から泉を上へと固めていき井戸にしたそうだ。

私自身も、小学生の頃、イタドリを取りに天守閣北側の石垣を登り、途中で降りれなくなって、結局みんなが「足は右、手は左上」などと叫んでくれて上の平地まで登ったこともある愛着のある城山だ。

ひょっとすると、基本的に案外脆い山かもしれない。築城以来、今まで何の大きな災害がなかったものの、昨今の異常気象により、豪雨なども多くなったきたと聞いている。町のど真ん中に大きな緑の山と素晴らしい天守閣を持つ松山城があるのは、他の都市には見られない素晴らしい財産だ。観光業にとっても早急に調査補修を行い、今までのように市民が身近に使えて憩える「お城山」にしていただきたいと願うばかりだ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする